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10月31日、晴れ、少し暖かい。 9時少し前、赤塚城跡に向け出立。 赤塚城は室町中期の康正2(1456)年、相続争いに破れて 本領を追われた、下総国(千葉県)の名族千葉実(自)胤の構築と伝わる。 実胤後は、小田原北条氏に属した。 天正18(1590)年の豊臣秀吉の小田原攻めの際には、 千葉氏の武将松戸越前守が入っていたが、小田原陥落後 廃城とされた。 本郭後は広い草原で公園になっており、家族連れが野球をやっていた。 当時はどの様な本丸が存在したのであろうか。 公園の西側と南側に空堀と土塁が一部残っている。 堀のなかを歩きながら当時に思いをはせる。 赤塚城跡は、東京都板橋区の武蔵台地の北東端に残る平山城跡。 引き続き、志村城跡へ。 築城年代は明らかでないが、千葉氏一族の信胤が 赤塚城の前衛拠点として志村古城を修築、城主になったといわれる。 大永4(1524)年、千葉氏の主家に当たる扇谷上杉朝興が、 小田原北条氏二代氏綱に攻められ、江戸城を逃れて川越城へ 向かう途中、志村城で追撃されて城は落城。 以後千葉氏は、上杉氏を離れて北条氏に従属することになる。 本郭跡は、マンションと学校の構内になっていえ跡形もない。 ただ、熊野神社社殿の西側木立の中に、本郭と二の郭を 隔てる土塁の一部と空堀が残されている。 空堀の中を歩きながら当時の様子を想像する。(正直どの様であったのだろうか?) 場所は都営三田線志村3丁目駅の近く、丘の上。 帰りは環8で帰ったが、板橋、練馬辺りは住環境も 考えており走り易かった。 昼食は、松屋のカルビー定食、割引なし、680円。 参考資料:「むさしの城跡ウォーキング」(平野 勝 著) |
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